小路楽器店について

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音づくりへの想い

Message from the 3rd generation

“音をつくり”“音をつなぐ”仕事を。

創業から70年。札幌で和太鼓や三味線を中心に、さまざまな和楽器と向き合い続けてきました。
初代の祖父が始めた楽器店を、二代目の父が和太鼓づくりへと広げ、
そして三代目として私が受け継いでいます。
太鼓や三味線は、木や皮、糸といった自然の素材からできています。
だからこそ、季節や湿度、時間の流れとともに変化していく“生き物”のような存在です。
壊れたから終わりではなく、手をかけ直せば、また鳴りはじめる。
その瞬間に立ち会えることが、この仕事のいちばんの喜びです。
昭和の頃は札幌市中央区や南区で工房を構えていましたが、平成元年、現在の南区藤野へ移転。
自然に囲まれたこの地で、太鼓、三味線の音とともに歩んできました。
これからも、「直すこと」「つくること」を通じて、北海道の“和の音”を未来へつないでいきたいと思っています。


札幌の小路楽器店 代表取締役 田澤知之。和太鼓や三味線の製作・修理を行う職人。

代表取締役

田澤知之

工房のあゆみ(1955年~)

History of the Workshop since 1955

1955年(昭和30年)創業 ― はじまりの音

札幌市中央区南1条にて、初代 小路信治 が日本楽器(現ヤマハ)を退職し、 小路楽器店 を創業。 当時は和楽器だけでなく、洋楽器の修理や販売も手がけていました。
 
 

1970年(昭和45年)南35条時代 ― 和太鼓づくりへの道

札幌市南区南35条西10丁目へ移転。 二代目 田澤弘之 が入社し、和太鼓と三味線の製造・修理に力を注ぎ始める。 ここから「町の太鼓屋」としての歩みが本格的に始まります。
写真に見える青いシャッターの車庫の中で太鼓づくりがはじまりました。

 
 

1980年代、札幌市南区南35条にあった旧小路楽器店の外観。右奥の青いシャッターが太鼓工房。 1980年代札幌市南区南35条にて。右手に見える車庫で和太鼓作りが始まりました。 昭和50年代の小路楽器店。国道230号沿いに店舗と作業場が並ぶ。 昭和50年代後半。国道230号線を挟んでの小路楽器店。 南35条時代の店舗前に停められた車と旧看板。 1980年代小路楽器店。現在ここは吉野家藻岩店になっています。 初期の「小路楽器店」店舗入口。木目調外壁とガラス越しに楽器が見える。 昭和50年代小路楽器店、和楽器の他に洋楽器の取扱いもありました。

1989年(平成元年) 藤野工房へ ― 町の太鼓屋として

札幌市南区藤野に工房を移転。
より大きな太鼓の製作や修理ができる環境が整いました。
地域の太鼓チームや神社、学校などからの依頼も増え、
「太鼓の音でまちを元気にしたい」という想いが形になっていきます。
この頃から、“町の太鼓屋”としての小路楽器店の姿が定まり、
太鼓づくりと修理を通して、地域の人々とのつながりが深まっていきました。

 
 

2000年代〜2010年代 伝統とともに歩む

長く使われてきた太鼓の修理や再生にも力を入れ、
音を受け継ぐしごとが増えていきました。
木胴を整え、革を張り替え、もう一度舞台に送り出す。
その積み重ねが、工房の技と信頼を支えています。

 
 

2014年(平成26年)― 二代目の想いを受け継いで

2014年、二代目・田澤弘之が他界。
和太鼓づくりに情熱を注ぎ、数多くの祭りや舞台を支えてきたその想いは、
三代目へと受け継がれています。
今も工房には、先代の手のあとと、音づくりへのまなざしが息づいています。
 
 

現在 ― “音をつくり、音をつなぐ”仕事を

創業から70年。
札幌の地で続いてきた太鼓と三味線の仕事は、
「なおすこと」と「つくること」を通して、
和の音を未来へつなぐためにこれからも続いていきます。
 
先代から受け継いだ工具棚。和太鼓と三味線づくりに使われてきた道具たち。

音をつなぐのは、人の手と、道具の記憶。


 

会社概要

Profile

商号

有限会社小路楽器店

資本金

5,000,000円

代表者

代表取締役 田澤知之

設立

1959年4月14日

所在地

〒061-2283 北海道札幌市南区藤野3条4丁目2-10

連絡先

011-591-2841(代表電話)

社員数

3名

事業内容

和楽器製造販売